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玉樹大地震について

 

 4月14日、中国青海省玉樹で大地震が発生しました。M7前後の規模に加え、比較的震源が浅いこと、現地にレンガ積みの住宅などが多いこともあり、被害が拡大しています。4月28日現在、亡くなった方は2000数百人に及んでいます。救いといえば、対応が比較的速かったことでしょう。中国政府は、高地障害が予想される過酷な被災地に、速やかに解放軍部隊を派遣しました。中国メディアは2008年の四川大地震を上回る義捐金が寄せられつつあると報道しています。こうした対応を考える上で、ひとつの大きな文脈、みっつの比較的小さな文脈に注目してみたいと思います。

 比較的小さな文脈の第一は、2008年に発生したラサ騒乱の記憶です。ラサがかつてダライ?ラマの君臨した聖都であるとすれば、青海省(チベット語の呼称は「アムド」)はかつてチベット仏教ゲル―派(ダライ?ラマ、パンチェン?ラマを擁する最大宗派)の開祖ツォンカパを生んだ聖地であり、ダライ?ラマ14世の出生地でもあります。幸いというべきか、2008年には、現地当局の迅速な対応により、騒乱の青海省への波及を未然に防ぐことができました。(これについては、2008年夏に、現地で話を聞くことができました。)しかし、ウ?ツァン(チベット自治区中央部)、アムド(主に青海省)、カム(四川省西部、雲南省北西部、チベット自治区東部等)の騒乱が相互に影響しあうということは、かつてもあったことです。1950年代の土地改革期には、青海省でも激しい抵抗運動が起きました。1959年のチベット動乱には、青海省や四川省における抵抗運動の飛び火という側面もあったのです。被災区でチベット族被災者の不満が高まれば、騒動がまたチベット自治区へと波及する可能性もあります。温家宝総理、胡錦濤国家主席らの迅速な現地入りには、誠意ある対応により不満の広がりをおさえたいとの意図もあったのでしょう。またその一方で、現地入りした部隊が被災者支援にあたっていたチベット僧侶を追い払ったとの報告もあります。ラサ騒乱でも、デモの中心には僧侶がいました。2008年の記憶が、教訓として生きているのかもしれませんね。  

 そう考えると、党と政府は、全体として初期対応に成功したように思われます。1000名を超える死者を一度に荼毘に付した時も、不満の声はもれたものの(当地ではまともな人間は鳥葬されるものであり、火葬には抵抗が強い)、不穏な動きはありませんでした。ラサ騒乱の悪夢再現は、避けられたわけです。  

 小さな文脈の第二は、上海万博です。2008年の北京オリンピック同様、国の威信をかけたイベントです。2008年には南方の大雪害、ラサ騒乱、山東省の鉄道脱線事故、四川大地震と、ほぼ一カ月おきに惨事が中国を襲いました。それ自体国家のメンツにかかわる問題ですが、おそらくそれ以上に党と政府を困惑させたのは、中国人民の排外感情でした。それまで、オリンピック成功のために不自由を強いられてきた中国人民が、対中批判を展開する国外メディアに罵声をあびせはじめたのです。ダライ?ラマへの支援を実施したと噂されるカルフールは、全国でボイコット運動にあいました。「チベット支援」を叫び聖歌リレーを妨害せんとした人々に、中国人留学生が襲いかかるといった事件も起こりました。2005年に最悪となった対日感情が日中関係を縛り、党と政府が日本との関係改善に動き出せなくなってしまった時期があります。国外からの賓客をもてなさんとしていた党と政府にとっては、排外感情の高まりもまた、手足を縛ってしまう可能性がありますね。万博を成功させたい党と政府にしてみれば、それは困るわけです。(なお、外国からの来場者としてもっとも規模を見込まれているのは、日本人です。「岡本真夜さんの曲を万博主題曲が盗作した」といった疑惑に主催者側が異例の素早い対応を見せたあたりにも、外国からの来場者を減らしたくないという決意が見てとれます。)今回は幸い、四川大地震で経験を積んだ軍隊の対応が速く、国外からもさほど辛辣な批判はよせられていません。この点でも、党と政府は当面の危機を乗り切ったといえます。  

 小さな文脈の第三は、四川大地震です。四川大地震では、実に様々な問題が指摘されました。まず、学校倒壊が問題にされました。筆者も地震前から四川省で見聞したことがありますが、沿海地区に移住して成功した四川人が故郷の校舎建設などに善意の寄付をしようとする場合、地方官僚は現物による寄付を許さず、必ず資金を地方政府にあずけるよう説得する傾向があります。有体に言えば、校舎のような建物は、手抜き工事により利鞘を稼ぐのが最も容易な公共施設です。しかしそれとて、現物で寄付されたのではままならないということなのでしょうね。地震後は多数の人権活動家が繰り返し手抜き工事を調査、告発し、それがインターネット経由で国外メディアの知るところともなりました。これに対し現地地方政府は取材に来た国外メディアを徹底的に排除するとともに、人権活動家に逮捕、実刑判決を含む様々な圧力をかけました。実刑判決の罪名は、「国家政権の転覆を企図した」といった、実にばかげたものでした。(日本政府が水俣病訴訟の原告団を「内乱罪」で逆告発するようなものですね。正気のさたとは思えません。)今回の地震で幸いであったのは、四川大地震同様に多くの校舎が倒壊したのにも関わらず、発生時間が早朝であったため、四川大地震のように大量の就学児童?生徒が死亡するという悲劇にはいたらなかったという点です。それでも胡濤錦主席は、現地入りするなり倒壊した校舎を訪問、「必ず再建します」と約束しました。新聞誌上には、彼が被災地の子供を抱き締める写真が、一面で掲載されました。四川大地震の失敗をふまえた、素早いパフォーマンスであるともいえましょう。  

 このように、小さな文脈から見れば、共産党中央は無難に立ちまわっているように見えます。ただし、「合法性の危機」という大きな文脈から見れば、事態は深刻です。  

 インターネットの普及以来、ネット上における地方幹部の醜聞暴露が絶えません。今年に入っても、広西の煙草局幹部による愛人日記(複数の愛人との赤裸々な交際を告白した内容)、湖北省幹部の女性渉猟日記(女性500名を渉猟するという目的を立て、すでに300名を達成したと豪語)など、読むに堪えない醜聞が次々と流出しています。汚職で摘発される官僚は、ますますその数を増しています。中央宣伝部のコントロールが及ばないネット空間を中心に、共産党の合法性をも揺るがしかねないような憤懣がくすぶっています。中央は今のところ、醜聞官僚を停職処分にするなど迅速に対応し、ネット世論の激高を極力回避しています。その一方で、醜聞に関する書き込みを管理者に削除させたり(最近中国では「被~(~される)」が流行語になっていますが、こういう削除を「被河蟹(川ガニされる)といいます。「河蟹(川ガニ)」と「和諧(調和)」が中国語ではほぼ同音で、「胡主席が主張する調和社会建設のために沈黙させられた」という意味のダジャレです。国民の沈黙が生む「調和」社会にどれほどの価値があるかは、さておいて)、一部書き込み者を逮捕したりしています。また、「五毛党」(一回5毛=7円程度の手間賃で、党と政府をヨイショする書き込みをする人々)の暗躍もささやかれています。  既成メディアに対する締め付けも、ますます厳しくなっています。つい先日も、「愛すべきは国であって朝廷ではない」とのコラムを執筆した広州南方集団の記者が、停職処分に追い込まれました。  

 アメとムチの使い分けでネット言論に一定のガス抜きを許しつつも、既成メディアには批判ないし批判と聞こえる言論の発信をゆるさず、ひたすら党と政府のプロパガンダに奉仕させる。この危うい平衡は、今回の地震報道でも感じられました。温総理と胡主席の現地入りは、何よりプロパガンダに絶好の題材を提供しました。国を襲う災難をパフォーマンスのチャンスと見るかのような行動は、2003年のSARS騒動以来、この政権ですっかりパターン化してしまっています。合法性の危機におびえる中で培われた、悲しき習性であるといえましょう。  

 たとえていえば、合法性の危機は「死にいたる病」です。共産党中央は、対症療法というテクニカルな次元では成功しているように見えますが、病を根本治療する方法を持ちません。巨大な国家を中央集権で統治しようとすれば、足元には目が届かなくなり、地方官僚の法を無視した跋扈を招きます。これを解決しようとすれば、基層にボトムアップ型の地域ガバナンスを構築するしかありません。それは、民主主義を有効に機能させている恐らく唯一の巨大国家?米国を見てもわかります。しかし地域ガバナンスもまた、一党支配をいずれ葬るであろう、もうひとつの「死にいたる病」なのです。(唯一の違いは、前者の病はハードクラッシュで中国そのものを殺してしまう可能性が高いのですが、後者は、ソフトランディング、つまり中国共産党のゆるやかな死をもって、中国を救える望みがあります。あとは、誰が中国共産党の勝海舟たりうるか、ということなのかもしれません。)結果として、パフォーマンスでその場しのぎをせざるをえなくなります。既成メディアがそれを称賛する宣伝機関として機能しているため、増大する不満はネット空間という規範化されていない場にいびつな形で表出することになります。青海の大地震は、中国のそうした「死にいたる病」を、あらためてあぶりだしたように思えます。

                                           

                                              2010年4月28日

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