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ECFA雑感

 

 6月29日、中国、台湾それぞれの代表団が、共産党、国民党にとって象徴的な都市である重慶において、ECFAに正式署名しました。実に、61年ぶりに中台両岸が経済統合に向けて歩みはじめた瞬間でもあります。

 今回の署名は、中国にとっての経済的利益のいかんに関わらず、胡錦濤政権にとっては大いなる成功となるでしょう。胡錦濤は、2009年1月、『台湾同胞に告げる書』発表30周年記念座談会において、「胡六点」とも称される談話を発表しました。簡単に言えば、「1.『一つの中国』という原則確認、2.平和統一の希求、3.一つの中国として経済共栄、4.台湾アイデンティティーの条件付き承認、5.軍事的緊張の緩和と『敵対状態』の終結、6.民進党への呼びかけ」という内容です。馬英九政権が誕生して余裕の生まれた中国が、「中央政府」としての度量を示しつつ、平和的統合に向けた台湾全島的合意の形成を促した内容になっています。それから1年半、2009年夏には、空前の人的被害を出した台風8号を受け、馬英九政権への支持率が急落、中国側が大いに慌てる場面もありました。しかしここにきて、「胡六点」のうち、早くも第三点で大きな進展があったことになります。少なくとも短期的には、胡政権の基盤が強化されるとともに、「胡六点」が次政権にとっても重要な指標となる可能性が高まったと言えましょう。

 ただし、中国側にとってのリスクもあります。大陸経営者たちの不満は、強権で封じることができるかもしれません。しかし、ECFAが中国社会そのものに与える影響は、いかにしても排除できないと思います。たとえば今回、中国は台湾に対して一部サービス分野の市場開放に踏み切りました。その中には、医療のような公益サービスもあります。そして医療や教育こそ、中国共産党が1949年後徹底排除した、宗教界の得意とする公益サービスなのです。一度はミッション系の学校や病院を国家により接収したことで、共産党は宗教界の影響を最小限に抑制することに成功しました。公共善の提供手段を、宗教をはじめとする社会諸団体の手から奪い、いわば善の独占をはかることで、一党統治を合法化してきたのです。しかし、台湾では宗教界の提供する公益サービスが豊富です。キリスト教はもちろん、中には一貫道のような、かつて共産党が追放した宗教による活動もあります。公益サービスを通して、台湾の多元化した市民社会の影響が中国社会に及ぶことは、恐らく必然であろうと思われます。

 一方馬英九政権は、中国側とは全く逆に、経済的利益と政治的リスクを取ったことになります。馬英九政権のスローガンの一つに、「黄金の10年」というのがあります。21世紀に入ってから、GDPベースの経済成長率において、台湾は他NIES諸国、地域に比べ、1~2ポイント低い状況が続いていました。台湾は国交のあるパナマ等中米諸国とFTAを締結しましたが、これらの国と台湾の貿易額は、台湾の貿易総額に占める割合が1%にも満たない状況です。中国は「胡六点」においても、「一つの中国」を前提として掲げており、他国が台湾とFTAを締結することには反対しています。貿易自由化交渉における台湾の活動空間は、極めて限定的であると言ってよいでしょう。手詰まり感の中、李登輝政権から陳水扁政権へと至る10年間は、「失われた10年」とまで呼ばれています。ECFAは、この事態を打破するショック療法であるとも言えましょう。「胡六点」に沿って政治的ポイントの稼げる中国側は、これに大胆な譲歩でこたえました。ことに、アーリー?ハーベスト品目として台湾539、中国267という、品目数で2倍、経済規模で4.5倍(台湾総統府の試算)という優位な条件を引き出したことは、大きいと思います。IMFでは、これにより台湾の経済成長率が6.5%に達すると見ています。また台湾側は、同時に進めていた知的財産権をめぐる交渉で、動植物品種まで含めた台湾企業の知的財産を中国側に保護させる約束をとりつけました。しかし逆に言えば、台湾は世界への経済的表玄関を中国であると内外に宣言したに等しい内容でもあります。(裏口は、いわゆるタックス?ヘイブン等ですね。)経済面における台湾の対中国依存はますます高まり、これが島内の一部世論に強い警戒感を引き起こすことは間違いありません。民進党や李登輝氏周辺には、絶好の攻撃材料を提供したことになります。

 しかし、馬英九政権は、全体として正しい選択をしたと言えます。第一に、もはや東アジアにおける経済的インテグレーションの流れを逆転させることができないからです。台湾が「栄光の孤立」を選ぶことは、およそ現実的ではありません。第二に、ECFAは台湾の産業空洞化に歯止めをかける可能性があります。貿易自由化が本格化すれば、島内にとどまって生産を続けることのできる企業も増えるでしょう。つまり、守られるのは企業の利益ばかりではなく、雇用確保にも有利に働くのです。特筆すべきは、台湾側が「一幇、二不、三要」(一つの援助、二つのNO、三つの実施)という原則を貫いたことです。つまり、「島内経済支援(一幇)、大陸農産品輸入開放拒否と労働市場開放拒否(二不)、関税引き下げ、投資保障、知的財産権保護(三要)」の6点です。このうち「二不」は、島内労働者に対する配慮でしょう。これにより島内の失業率が低下し、潤った労働者が市場として台頭すれば、国民党への支持は大いに上昇する可能性があります。残る問題は、経済が「牛後」に堕したとしても、政治的に「鶏口」を維持してゆく高等芸術が、どこまで台湾に期待できるかでしょう。また、米国の動向も重要な変数として気になるところです。

 しばしば指摘される日韓両国企業への影響は、限定的かつ間接的でしょう。日韓両国には知識集約型のグローバル企業が多く、産業構造が台湾とはやや異なります。すでに多くの企業が、ACFTAの締結されているASEAN諸国や、大陸本土に進出済みでもあります。ECFAが直ちに日韓両国企業の不利益につながるとは、考えにくいですね。むしろ、昨今カントリーリスクが高まっているとされる中国に代わり、日本から近い台湾が投資先、提携先として浮上するという意味で、企業活動にとっては有益であると思われます。

 ただし、FCFA締結の結果として台湾島内の雇用環境が改善すれば、日韓両国の国内世論が中国とのFTA締結に傾斜する可能性はあります。その場合、日韓両国政府は対処に苦慮することになるでしょう。中国が日本、韓国とのFTA交渉において、「二不」のような条件を飲む可能性は、ほとんどありません。この手の交渉では、「発展途上国(中国)VS先進国」という構図を強調し、ハンディキャップを求めるというのが、中国の常套手段だからです。また、今や中国共産党を支える唯一の神学と言ってもよい「愛国主義」は、「同胞」への寛容や譲歩は認めても、外国への利益譲渡と映る行為は、これを「売国」として激しく糾弾します。日本の一部ブランド米などが中国で売れているようですが、実際にFTA交渉となれば、また農業従事者が打撃を受けるかも知れませんね。

                                                    

                                           2010年7月9日

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